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矛盾について(その590) ブログトップ

3月15日(木) [矛盾について(その590)]

 「なにか浮かない」に着目してきましたが、もう一つ、吉本と親鸞の接点として「ごくふつうの人たち」のことがあります。吉本はこんなふう言います。
 「鎌倉時代の初期ですから、武家階級が興って、戦乱は絶え間なくある、疫病は流行る、飢饉も起こる、そういう時代です。なにかあるとすぐ武士に殺され、あるいは病気にかかったり、ものを食べることができないで死んでいく人がたくさんいる―そういうなかで、学問があるとか仏教の知識がある人ではない、ごくふつうの人たちが、『こういう状態で一生を送っていいだろうか』ということを考えるようになったということです。ごくふつうの人たちのそういう悩みといいましょうか、生きていることに対する疑いといいましょうか、そういうことに仏教はどう答えたらいいかという問題に、法然や親鸞はなんとかして答えようとしていたと思います。そこだけが当時の偉い坊さんである解脱上人とか明恵上人と違うところだと思います。」
 もう一度吉本の「転向論」に戻りますと、戦前の共産党の指導者たちは日本の遅れた社会を変革して、その下で苦しんでいる人たちを解放しようと考えていたでしょう。しかし官憲の弾圧に屈した転向組だけでなく、屈することなく志を貫いた非転向組も、天皇制ファシズムの下で苦しむ「ごくふつうの人たち」の生活からものごとを見ていただろうかという根本的な疑問を出したのでした。つまり彼らにとって、「ごくふつうの人たち」は解放してあげるべき対象であって、自分もそうした「ごくふつうの人」のひとりとして生きていたのではないということです。

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