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矛盾について(その591) ブログトップ

3月16日(金) [矛盾について(その591)]

 戦前の共産党指導者たちと、貞慶(解脱上人のことです)や明恵など法然を批判した高僧たちとの間になにか共通するものがないでしょうか。
 それは舶来の高級思想の高みから「ごくふつうの人たち」を救おうという姿勢です。マルクス主義や仏教思想という外国からやってきた高度な真理を身につけた自分たちが、哀れな一般大衆を救わなければならないという構図。マルクス主義が当時、世界の大思想であったことは言うまでもありません。世界中の権力者たちから忌み嫌われていたということが影響力の大きさを示しています。
 そして仏教思想もまた当時の世界的大思想でした。あの頃の日本人にとって世界とは唐・天竺と日本しかなかったのですから。そんな世界思想をわがものとするために最澄や空海は命がけで海を渡ったのです。マルクス主義も仏教思想も「人々を救う」という大義を掲げています。それを自分たちが身につけ、人々を救わなければならない。
 法然や親鸞はその構図から降りたのです。
 彼らが当時の最高学府である比叡山を下りて民衆の中に入っていったことがそれを象徴しています。「民衆の中へ」と言いますとナロードニキが頭に浮かびますが、農民たちとともに生きようとしたロシアのインテリたちも、身は農民にまじわりながら、心は「遅れた農民たちを啓蒙しよう」としているのですから、高みから「人々を救おう」としていることに変わりありません。
 法然・親鸞はその構図そのものから降りたのです。「自分が哀れな民衆を救う」のではなく、「自分も哀れな民衆の一人として救われる」道を歩もうとしたということです。

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