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矛盾について(その609) ブログトップ

4月3日(火) [矛盾について(その609)]

 ここで再び宿業というものを考えてみましょう。
 宿業の感覚も縁起の発想と同じ根っこです。
 親鸞が「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずといふことなし」と言うとき、釈迦と同じように「これがあるときにこれがある、これが生起するからこれが生起する」と考えていたに違いありません。どんなことも、さからいようもなく起こるのだと。
 さて親鸞がこのように言うのは、何が善で何が悪かと「はからう」ことなく、不可避の宿業をそのまま受けとめようということです。
 Aが生起するからBが生起する、ならばBを消滅させるためにAを消滅させるべきだと考えるのが「はからい」です。煩悩を起こすから苦しみが生じる、ならば苦しみが生じないようにするには煩悩を起こさないようにするべきだ、これが「はからい」。
 それに対して、煩悩を起こすから苦しみが生じるという縁起をそのまま受けとめよう、これが宿業の感覚です。
 念仏をとなえれば浄土へゆけるのだから、浄土へ往くためには念仏しなければならない、これが「はからい」、つまり自力の発想です。
 それに対して、念仏をとなえれば浄土へゆけるという弥陀の声をそのまま受けとめよう、これが他力の思想です。

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