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5月6日(日) [矛盾について(その642)]

 突然ですが、「いずれ死ななければならないのに、なぜ人は生きるのか」という問いにどう答えるか。『生者と死者をつなぐ』の著者・森岡正博氏はこう言います。
 「『生まれてきて本当によかった』と思えるような人生を実際に生き切ることによって、いつの日か『誕生肯定』を手に入れることを目指す。すなわち、『死ななければならない人生』に生まれてきたという宿命に対してこの世で肯定的な決着をつけるために人は生きるのだ、と私は答えたいのである。」
 いくつかの疑問が浮かびます。まず、著者にとって「生まれてきて本当によかった」という「誕生肯定」は、自ら「手に入れる」ものとしてあるようです。しかし、それは自分で手に入れることのできるようなものでしょうか。
まず言えるのは、「生まれてきて本当によかった」という思いは、「生まれてきてよかったのだろうか?」という鉛のような問いを抱えているからこそ生まれるということです。この問いと無縁の人は「生まれてきて本当によかった」という思いとも無縁でしょう。
 さて、「生まれてきてよかったのだろうか」という問いが浮かんだとき、「そうだ、生まれてきてよかったのだ」と自分で答えを出すことができるでしょうか。ここにぼくは根本的な疑問を感じるのです。
 たとえば、誰かから「おまえなんかいなきゃいいのに」と酷いことばを投げつけられ、「生まれてきて本当によかったのだろうか?」と問うとき、自分で「そうだよかったのだ」と、どれだけ大きな声で答えても、100回も200回も答えても、それで納得できるでしょうか。
 できるわけがありません。

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