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矛盾について(その643) ブログトップ

5月7日(月) [矛盾について(その643)]

 「生まれてきて本当によかったのだろうか」と問うとき、自分で「そうだ、よかったのだ」と100回答えても、それで納得できるわけがありません。 
 自分で「生まれてきて本当によかったのか」と問い、それに自分で答えたっていいのではないでしょうか。いえ、それではダメなのです。そのことを考えるために、自分で問い、自分で答えるのはどのようなときかを検討してみましょう。
 それは何かを「知ろうとする」ときです。自分で問いを立て、それに対していろいろ調べて自分で答えを探す。人に教えてもらうとしても、最終的にはそれに自分で納得しなければなりません。ですから結局は自分で答えを出すのです。
 でも、何かに「気づく」ときはどうでしょう。
 「知る」と「気づく」の境界は微妙ですが、両者を区別するときには、「気づく」は、あくまで「向こうから」です、「こちらから」ではありません。「気づいた」というより「気づかせてもらった」という感じ。時制で言いますと、「気づく」という現在形ではなく、「気づいた」という現在完了形になります。
 気づこうとして気づくのではありません、あるときふと気づいたのです。何ごとにせよ知ろうとしなければ知ることはできませんが、一方、気づこうとすればするほど気づきから遠ざかります。眠ろうとすればするほど眠りから遠ざかるようなものです。
 気づくのは「思いもかけず」です。

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