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『歎異抄』を読む(その12) ブログトップ

5月27日(日) [『歎異抄』を読む(その12)]

 「序文」を口語訳しておきましょう。
 「私なりに思いめぐらしまして、親鸞聖人在世の頃と亡くなられた後をあれこれ考えてみますに、聖人が口づてに教えてくださった本当の信心とは異なる教えがまことしやかに伝えられていることは何とも嘆かわしく、これから浄土の教えを学ぼうとする人々にいろいろと疑念を抱かせてしまうことと思います。幸いにもいい師に出会うことができなければ、どうしてこの念仏という易行の道に入ることができましょうか。自分勝手な解釈で他力の教えを乱すべきではありません。ということで、親鸞聖人が生前語られたおことば、耳の底に留まっているところをいささかここに記録しておきます。ひとえに志を同じくする人々の不審をなくすためです。」
 この文章から伝わってくるのは「聞く」ことの大切さです。
 「先師の口伝」とあり、「耳の底に留まる所」とあります。前に言いましたように、唯円は親鸞から直に教えを受けた最後の弟子の一人ではなかったでしょうか。「面授の弟子」と言います。関東において、あるいは京において親鸞から親しく口づてに教えを受けた面授の弟子はかなりの数に上ると思いますが、九十歳まで生きた親鸞より先立つ人も多く、次第にその数が減っていきます。唯円には面授の弟子としての誇りと同時に自分に課せられた使命の重さを強く感じていたと思われます。「先師の口伝」の「耳の底に留まる所」を、この自分が残しておかなければこの先どうなるか分からないという切迫した気持ちが伝わってくるのです。
 この「聞く」ことの意義は、ただ「序文」に出てくるだけでなく、『歎異抄』の全体にわたって通奏低音のように流れています。

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