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『歎異抄』を読む(その15) ブログトップ

5月30日(水) [『歎異抄』を読む(その15)]

 インターネットで情報を得るのは「こちらから」です。ぼくがワープロを操作して情報をキャッチするのです。でも何か声が聞こえてくるのは「向こうから」です。ぼくがその声をキャッチするのではなく、その声がぼくをキャッチするのです。そして耳の底に留まる。ぼくが留めるのではありません、その声が勝手に留まるのです。親鸞の声が唯円の耳の底に留まり、唯円はそれを『歎異抄』として残してくれました。そしてそれを読んだぼくにまた親鸞の声が届いたのです。
 こうしてことばが次々とリレーされる。
 自力と他力。これが『歎異抄』を読むときのもっとも大事なキーワードですが、分かりやすいことばに直しますと、「こちらから」と「向こうから」となります。自力とは「こちらから」出かけて行って、何かをキャッチしようとする。他力とは「向こうから」やってきて、知らないうちにキャッチされる。唯円は親鸞のことばにキャッチされたのです。そしてぼくもまた親鸞のことばにキャッチされた。
 念仏とは何か、というのは『歎異抄』の根本テーマですから、これからじっくりと考えていくのですが、ここで先回りしてひと言だけ言っておきたいと思います。ぼくらは念仏は「称える」ものだと思っています。念仏は「聞く」ものだということが忘れられているのです。えー、なにそれ?と思われたでしょうか。念仏は「こちらから」称えるものだとされますが、実はそれに先立って「向こうから」聞こえてくるのです。

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