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『歎異抄』を読む(その23) ブログトップ

6月7日(木) [『歎異抄』を読む(その23)]

 よく「人間は一人では生きられない」と言います。
 親父が息子に「お前は一人で大きくなったような顔をしているが、誰のおかげだと思っているんだ」などと説教しますが、そんなふうに言われた息子は恩着せがましさを感じてしまって、「頼んだ訳じゃないよ」と憎まれ口をたたく。よくある光景です。
 でも、ここで「一人では生きられない」と言っているのは、もっと深い意味です。「ご飯を食べる」ことのレベルではなく、「ただ生きている」ことにおいて「一人では生きられない」のです。「ご飯を食べる」ことにおいてもぼくらは支えあっています、一人では生きられません。でも、それより前に、「ただ生きている」ことを誰かに認めてもらわないと、ぼくらは生きていけないのです。
 いや、そんなことはないよ、という反論があるかもしれません。山奥にひっそりと咲く一輪の美しい花は、誰にも見てもらえないけど、自分だけで凛として咲き誇っているじゃないか、と。
 でも、よーく見てみると、その美しい花も蜜をいっぱいためて蜜蜂の来てくれるのをじっと待っているのではないでしょうか。「蜜蜂君たち、こっちへおいでよ、蜜がいっぱいあるよ」と一生懸命アピールしているに違いありません。もし蜜蜂君が一匹も飛んでこなかったら、お花さんガッカリして萎れてしまうことでしょう。
 やはり、いのちには欠如があり、それを誰かに満たしてもらわなければ完結しないようです。

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