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『歎異抄』を読む(その38) ブログトップ

6月22日(金) [『歎異抄』を読む(その38)]

 とことん追いつめられてなどと言いますと、何か乾坤一擲、「えいやっ」と目をつぶって深淵に飛び込むような感じですが、実際のところはもっと静かな、そしてしなやかなこころではないでしょうか。
 フランクルの『夜と霧』に印象的な話があります。アウシュヴィッツ収容所で1944年のクリスマス前後に驚くほど多くの囚人が亡くなったという話です。それは冬の寒さでも、ひもじさでもなく、ただ「いつか帰れる」という希望がポキンと折れたことによるというのです。
 連合国が勝利して、その年のクリスマスまでには帰れるという希望的観測が収容所に広がり、それを多くの囚人たちが信じたが、クリスマスが近づいてもそれらしい兆候は全く見られず、絶望した人たちがあっけなく亡くなっていった。
 クリスマスまでに帰れると信じた人たちは、その可能性が高いと思ったのでしょう。ところが実際はそうではないことが分かって、その信はあえなくポキンと折れた。そして「どうしてあんなことを信じてしまったのか」と悔やみ、「もうダメだ」と絶望するのです。これが普通の「信じる」でしょう。
 しかし、どんなに可能性がないと思えても、「いつか必ず帰れる」としなやかに信じ続けた人たちがいました。フランクルもその一人ですが、その人たちだけが生き残れたのです。では、帰れる可能性などなきにひとしい状況で、どうして希望をもち続けることができたのか。

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