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『歎異抄』を読む(その53) ブログトップ

7月7日(土) [『歎異抄』を読む(その53)]

 虫下しで寄生虫を退治するように、いじめ虫を駆除できるなら、ぼくはいじめと無縁のきれいな体になれます。でも怒り虫と同じで、このいじめ虫も退治できそうにありません。もうぼくの体の一部になってしまっている感じです。としますと、できることはこの虫が外に出てこないようにすることだけです。この虫が好きな匂いを遠ざけることです。いじめ虫が一番好きなのはトゲトゲしい空気ですから、いじめをなくす最善の方法はいじめっ子をなくすことではありません、トゲトゲしい空気をなくすことです。
 「悪いヤツの方が善い人よりも救われるなんて、そんな馬鹿な話はないよ」と言う高校生は真っ当な感覚の持ち主だと思います。その感覚が社会の秩序を成り立たせています。いじめをするような者は悪いヤツです。いじめている者に対して「いじめをしちゃいけない」と言える人は善い人です。いじめをする悪人は懲らしめなければなりません。いじめに立ち向かっていく善人は褒められなければなりません。それが逆になってしまっては、世の中成り立ちません。
 そこまではいい。問題はその先です。もし、いじめに立ち向かっていく人が「おれは善人だが、あいつは悪人だ」と考えたら、その途端にそこに偽善の匂いが立ち込めてくるのです。「あいつは悪人だからいじめをするが、おれは善人だからいじめなんか絶対しない」と思ったとしたら、そこには虚偽が忍び寄ってくるのです。人間ふとしたはずみでどんないじめもしかねないからです。どんな人にもいじめ虫が棲んでいるのではないでしょうか。いじめをしない人は、いじめ虫が中で大人しくしているだけのことではないでしょうか。

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