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『歎異抄』を読む(その54) ブログトップ

7月8日(日) [『歎異抄』を読む(その54)]

 わたしには怒り虫はいませんと言える人がいるでしょうか。いつもニコニコと温和な人も、怒り虫が滅多に出てこないだけで、いない訳ではないでしょう。としますと、仏のような人も、状況によっては夜叉になるかも知れません。
 いじめ虫とか怒り虫と言ってきたのは、実は煩悩のことです。
 ぼくらには煩悩が百八あるといわれますが、何と言っても貪・瞋・痴の三毒でしょう。貪は「むさぼり」、瞋は「いかり」、痴は「おろかさ」です。「ほしがり虫」と「おこり虫」、そして「おろか虫」、この三種類の虫がぼくらの中に巣くっています。
 これらの虫どもが時々這い出てきてはいろいろ悪さをするのです。このように見てきますと「おれは善人だ」と言える人など一人もいないのではないでしょうか。みんな悪人だということになります。
 こんなふうに言えそうです。世の中には自分は善人だと思っている悪人と、自分は悪人だと思っている悪人とがいると。
 前者は自分を信じている人でしょう。自分は悪の誘惑に打ち勝つ力があると信じています。それに対して後者は、そんな自信を持てない人です。いつ何時自分の中に巣くっている虫どもが外に飛び出してくるかもしれないという不安を抱えている人です。
 前者は自分の力を信じている分だけ、すぐ誘惑に負けてしまうようなだらしない人間に対しては厳しい眼を向けます。一方、後者は自分に自信を持てませんから、周りのだらしない人を暖かい眼で見ることができます。

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