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『歎異抄』を読む(その58) ブログトップ

7月12日(木) [『歎異抄』を読む(その58)]

 自分はあんなヤツほど悪人ではないと思っている限り、「どんな悪人も、そのままで救われる」ことは納得できません。「自分だって、あいつと同じくらい悪人じゃないだろうか」と思えた時、「なむあみだぶ」の声が心に届くのです。
 念のために言っておきますが、無差別に人をナイフで刺すという行為が許される訳がありません。いや、絶対許してはなりません。でもそんな行為をしてしまった彼は、そんな彼のままで許されるのです。行為は絶対許されなくても、人は許されるのです。こう言った方がいいでしょう、「悪いことをすること」は許されなくても、「悪人であること」はそのまま許されると。
 ぼくらは子どもに、よく「悪い人になっちゃいけないよ」と言います。その時、そう言っているぼくら自身は善い人の仲間だと思っています。で、そう言われた子どもが「自分は悪い子だ」と思ってしまうと、その子はかなりきつい状況に置かれます。自分は親と別の世界にいるということになるからです。善い子になろうとして必至になっても、思うようにいかず、その子は次第に追い詰められていきます。
 それに対して子どもに「悪いことをしちゃいけないよ」と言う場合は、そう言っているぼくら自身を必ずしも善い人とは思っていません。いや、むしろ自分もふとした弾みでどんな悪いことをしてしまうかもしれないと思い、自分に向かっても「悪いことをしちゃいけないよ」と言っているのではないでしょうか。だから子どもも素直に聞いてくれるように思います。
 やはり「悪いことをすること」と「悪人であること」は分けて考えなければいけないと思います。そして「悪いことをすること」はそのままでは許されないが、「悪人であること」はそのままで許されるのです。

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