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『歎異抄』を読む(その60) ブログトップ

7月14日(土) [『歎異抄』を読む(その60)]

 浄土の教えの中心にあるのは「弥陀の本願」です。前にお話しましたように、阿弥陀仏が成仏する前、まだ法蔵菩薩であったときに、四十八の誓願をたてたとされます。その中でも要となるのが第十八願で、特に本願と呼ばれます。「こころから信じ、往生したいと思って念仏すれば、誰でも必ずわが浄土へ往生させましょう。そうでなかったらわたしは仏となりません」という内容です。
 その第十八願の最後に「ただ、五逆と謗法を除く」という文言があり、これが昔から問題となってきました。五逆とは、父を殺す、母を殺す、仏を傷つけるなど、5種類の悪逆非道な行ないをすることで、謗法とは、仏法を誹謗中傷することです。本願を信じ、念仏すれば往生できますが、ただ、五逆と謗法だけは除かれるというのです。
 どうしてこんな例外規定が置かれたのでしょう。たった一人でも救いから漏れるようなことがありましたら、法蔵菩薩の誓願は台無しになってしまうのではないでしょうか。
 しかしこの但し書きは「悪人は救いから除外されます」と言っているのではなく、「悪いことをしちゃいけませんよ」と言っているのです。どんな人も、たとえ五逆と謗法という罪を犯すような極悪人でも、みんな平等に救われるのです。でも、だからと言って、悪いことをしてはいけませんよ、と言っているのです。
 親鸞は弟子宛の手紙の中で「本願という素晴らしい薬があるからといって、わざと毒を好んで飲むものではありません」と言っています。悪人正機は決して倫理を否定するものではないのです。

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