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7月20日(金) [『歎異抄』を読む(その66)]

 ボランティアとは「自発的」という意味ですが、「自ら」というよりも「他から」促がされてという感じでしょう。
 ところが、ともすれば「ぼくが」誰かを助けてあげると思ってしまいます。還相を「ぼくが」還ってくると考えたのも同じことです。しかし「生かしめんかな」の声は「ぼくの」声ではありません。どこかから聞こえてくる声です。この声は間違いなくぼくの中で響いていますが、ぼくの口から出てくる声ではなく、どこかから聞こえてくるとしか言いようがありません。
 これが実は還相の仏の声ではないでしょうか。前に、ぼくの往相は、そのまま仏の還相だと言ったのを思い出していただきたいのですが、ぼくはぼくでありながら、同時に還相の仏でもあるのです。その還相の仏が「生かしめんかな」の声を出しているのではないでしょうか。
 前にこんな話をしました。「先生の授業面白かったよ」と言ってくれた生徒は、ぼくにとって「先生は生きている意味があるよ」と言ってくれた仏だと。そしてその声が「なむあみだぶ」に他ならないと。
 そうしますと、それとは逆に、ぼく自身もいつか誰かの仏となっているのでしょう。自分ではそんなこと思いもしないまま、いつか誰かの仏としての役割を果たしているに違いありません。それが還相の仏です。そして、還相の仏の声は誰かに聞こえているだけでなく、ぼく自身にもどこかから聞こえてくるのです。それが「生かしめんかな」の声です。

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