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『歎異抄』を読む(その87) ブログトップ

8月11日(土) [『歎異抄』を読む(その87)]

 第7章に進みます。
 念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もをよぶことなきゆゑに無碍の一道なりと云々。
 「念仏の道は何者にも妨げられることのない大道です。どうしてかと言いますと、信心を持っている人には、天の神や地の神も平伏し、魔界や外道も邪魔立てすることはありません。そして、どんなに悪いことをしてもその報いでこの道が通りにくくなることはなく、どんなに善いこともこの道に勝ることはないのですから。」
 鎌倉時代の旅人になってみましょう。常陸の国から京まで旅をした人たちはどんなにか心細かったことでしょう。宿へ着く途中で日が暮れてしまうかもしれません。あるいは大雨に降りこめられるかもしれません。薄暗い峠道には追いはぎや雲助がいて、身ぐるみ剥がれて放り出されるかもしれない。
 もう至る所に障害物が待ち受けています。「十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして」(第2章)とありましたのは、誇張でも何でもありません。今でしたら、一人でパキスタンからアフガニスタン、イランを通ってイラクへ行くようなものでしょうか。
 街道というのは、ありとあらゆる魑魅魍魎が住むところです。天神・地祇、魔界・外道というのはあまりピンときませんが、まあ魑魅魍魎と考えればいいと思います。そういうものがうようよいます。でも、念仏さえあれば何も怖くないというのです。

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