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『歎異抄』を読む(その92) ブログトップ

8月16日(木) [『歎異抄』を読む(その92)]

 「きみは犯罪を犯したから、他の人たちと同じ生活をする資格はない、刑務所に入らなければならない」とは言えるでしょう。でも「きみは犯罪を犯したから、生きる資格がない」と言えるでしょうか。何ごとかをすることについては、その資格を問えます。でも、生きることの資格を問えるでしょうか。ある人には生きる資格があり、ある人にはないというように区別できるでしょうか。
 「ぼくは生きる資格があるが、きみにはない」と言うことには強い抵抗を感じます。もしぼくが裁判長だったら死刑を宣告することにものすごい抵抗を感じるだろうと思います。どうしてかと言いますと、もう何度も言ってきましたように、生きることにぼくもきみもないからです。
 いのちにぼくもきみもない。ぼくが生きていることときみが生きていることはどこかで繋がっている。ぼくのいのちときみのいのちはひとつに繋がっているという感覚。だから、きみに生きる資格がなければ、ぼくにもないと感じる。逆にぼくにあるなら、きみにもある。ぼくにはあるが、きみにはないとは言えないと思うのです。
 何年か前のベストセラーに『国家の品格』というのがあります。流行に便乗するのを潔しとしない変な癖がありましてその時は読まなかったのですが、所属している読書会でこの本が取り上げられたものですから、遅ればせながら読みました。まあ言いたい放題言ってるなあという印象を持った中で、これはいただけないと思った箇所がありました。
 こう書いてあります、「命にも歴然と軽重があります。無垢な赤ちゃんと凶悪殺人犯、どちらの命が大事かと言えば、当然、赤ちゃんの方に決まっています」と。この著者は、きっと自分のいのちも凶悪犯人のいのちよりも重いと考えているでしょう。この一点だけで、失礼ながらこの本には品格がないと思いました。

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