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『歎異抄』を読む(その118) ブログトップ

9月11日(火) [『歎異抄』を読む(その118)]

 さて第10章後半の中序の部分です。
 親鸞聖人が生きておられた頃は、疑問が生じたら聖人に直接お伺いして、みんな「信をひとつに」することができたが、聖人が亡くなられ各地に孫弟子が増えてくると、「上人のおほせにあらざる異義ども」を言い合うようになってきたと歎いています。そこで代表的な異義を取り上げ、それが「いはれなき」ものであることを明らかにしておこうと言うのです。
 取り上げられる異義は八つありますが、どれも突き詰めると「信か行か」の争いに関係します。「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」(これは第12章に出てきます)というとき、「本願を信じる」ことが大事か、「念仏を申す」ことが大事かという対立です。
 これにつきましては、親鸞の伝記『親鸞聖人伝絵』に興味深いエピソードが記録されています。親鸞が法然上人のもとで生活していた時期のことです(それは親鸞29歳から35歳までのたった6年間でした)。ある日法然上人の門弟300余名が集まった機会に、親鸞が御一同に向かって「本願を信じる一念を大事とする信不退の座と、念仏の行を大事とする行不退の座と、二つの座に別れて座ってください」と提案したと言うのです。
 これには「みなその意(こころ)を得ざる気あり」と書いてありますが、みんなポカンとしていたということでしょう。聖覚と信空と熊谷直実の三人が信不退の座につき、最後に法然上人も信不退の座についたとあります。親鸞は記録係をしていたのですが、自らの名を信不退の座の方に載せたそうです。
 さてしかし、こんなことが本当にあったのでしょうか。

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