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『歎異抄』を読む(その136) ブログトップ

9月29日(土) [『歎異抄』を読む(その136)]

 戦前の大谷派は、相手が喧嘩を吹っかけてくる前に、相手に擦り寄ろうとしたと言わざるを得ません。「天皇を敬いなさい、戦争に協力しなさい」と要求する相手の気に入られるように、こちらから迎合していったのです。親鸞が「他の神仏を侮ってはいけません」と言うものの、決して「他の神仏を拝みなさい」とは言わなかったのとは、根本的に異なるのではないでしょうか。
 親鸞は念仏を謗り侮る者たちに対して、同じように相手を謗り侮ることを戒めたのです。それでは相手と同じ穴の狢になってしまうからです。しかし相手の無法な要求を受け入れよとは断じて言いません。信仰の城を明け渡してしまっては元も子もないからです。
 ではどうすればいいのか。
 親鸞はある手紙の中で、地方の権力者が念仏を弾圧してきたら、その土地とは縁がなかったと思って、別の土地に移りなさいと言っています。日蓮なら権力者と断固闘えと言うところでしょうが、そこから静かに去りなさいと言う。何だか尻尾巻いて逃げるようで、格好良くはありませんが、これが親鸞流です。
 この問題についてはまた触れる機会があるでしょうから、今回はこれだけにしておきます。とにかく親鸞は念仏を貶す人たちが出てくるのは当然だと考えていたということを確認しておきたいと思います。「悪人こそ救われる」などという教えですから、世の秩序を守らなければならないと考える人たちがそれに反発するのは当たり前ではありませんか。

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