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『歎異抄』を読む(その150) ブログトップ

10月13日(土) [『歎異抄』を読む(その150)]

 親鸞がまず「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるもの」を、そして「野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがら」を上げているのは、網野善彦さんが言うように、世の中で漁民や猟師たちが果たしている役割の大きさを示すものですが、もう一つ、「うみかわに、あみをひき、つりをし」たり、「野やまに、ししをかり、とりをと」ることは、仏教の五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)の筆頭にくる不殺生戒を破ることだからです。
 漁民や猟師は、その生業そのものが罪業なのです。
 そう言えば、仏教の伝統的な教えでは、女性は女性であるが故に救われないとされてきました。女性が救われるためには次の世で男に生まれ変わらなければならないとされていたのです。何と理不尽かと思いますが、同じように、漁民や猟師も、五戒を守らなければ往生できないとしますと、彼らが漁民や猟師である限り往生できないということになります。これまた何と理不尽なことでしょう。
 そこで親鸞は言うのです、不殺生戒を破らなければ生きていけない人たちも「ただおなじことなり」と。どんな人も「さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひも」するのだと言うのです。このことばが「日々殺生に明け暮れているお前たちは地獄行きに決まっている」と脅されていた当時の庶民にとってどれほど強烈なインパクトがあったか想像に余りあります。法然や親鸞に至って仏教が民衆のものになったと言われるのはこういうことです。

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