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11月9日(金) [『歎異抄』を読む(その177)]

 暗闇に塗り込められたトンネルの中でふと声がするのです、「あなたはトンネルの中でもがいていますが、その外には果てしない青空が広がっていますよ」と。こんな声はトンネルの暗闇に閉じ込められている「わたし」からは絶対出てきません。トンネルの外にいて、あふれんばかりの陽光を浴びている「あなた」から出てくる声です。
 この不思議な声は「あなたはそのままで救われているのですよ」と言っているのです。絶え間なく押しよせてくる苦しみにもがいているのに、どうしてこのままで救われているのかと思いますが、でも不思議なことに、この声はぼくらの心に光明を与えてくれるのです。
 トンネルの中にいることに何の変わりもありません。これまでと同じように暗闇(苦しみ)は次々と押し寄せてきます。でも、そのことに囚われなくなるのです。「ここはトンネルの中だが、その外では陽光が燦燦と降り注いでいるのだ」と気づくことで、ただそれだけのことで心が軽くなるのです。
 身はトンネルの暗闇の中なのに、心はその外の陽光を浴びているのです。こんなふうにして心が軽くなり苦しみが和らぎます。こうして「あなたはそのままで救われていますよ」という声が聞こえることによって実際に救われるのです。これが廻心です。
 廻心とは「気づき」です。この「気づき」こそ大いなる作用をするのです。スピノザという哲学者は主著『エチカ』の中でこう言っています、「苦悩という感情は、われわれがそれについて明晰かつ判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」と。

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