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『歎異抄』を読む(その183) ブログトップ

11月15日(木) [『歎異抄』を読む(その183)]

 ぼくらは常に「少しでも他人より先に」とはからっています。ただそこにはルールというものがあり、ルールを守って「他人より先に」行こうとする人は善い人で、ルールを無視して「他人より先に」行こうとするのが悪い人です。これがぼくらの内部の世界、日常の世界です。そこに倫理があります。
 そこへ外部から「そのままで救われている」という声が聞こえてきます。「そのままで」とは「ちょっとでも他人より先に」とジタバタしているそのままでということです。その声に「ただほれぼれと」聞きほれる、これを親鸞は「自然」と言います(これは呉音では「じねん」と読みます)。『末燈抄』という親鸞の消息集がありますが、その第五通にこの「自然」について詳しく説かれています。

 「自然」と言いますのは、まず「自」は「おのずから」という意味です。われらのはからいではないということです。「然」は「しからしむ」という意味です。「しからしむ」というのは、われらのはからいではなく、如来の誓いによるということです。如来の誓いによるのですから、「法爾」とも言うのです。…弥陀仏のお誓いは、言うまでもなくわれらのはからいではありません。南無阿弥陀仏の一声で迎えとろうと弥陀仏自身がはからってくださっているのですから、われらがこうすれば善かろうか、こうするのは悪かろうかと思わないのを「自然」というのだとお聞きしております。

 「ただほれぼれと」―これが「自然」です。

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