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『歎異抄』を読む(その204) ブログトップ

12月6日(木) [『歎異抄』を読む(その204)]

 この部分に唯円さんの真情がよくあらわれています。親鸞聖人のことばを直に聞くことができた自分のような人間が生きているうちはまだいいが、死んでしまった後はどうなるだろうか。聖人の教えがとんでもない方向に曲げられてしまうのではないか。
 それを考える時、やはり「故聖人の御こころにあひかなひて、御もちゐさふらふ御聖教ども」が頼りになるから、それをしっかり読んでもらいたい。しかし、そのような書物と言えども、真実の教えと方便の教えが入り混じっているから、それを見分けなければならない。見分けるための目安となる聖人のことばを抜き出して書き添えておくから是非参考にしてもらいたい。といったところでしょう。その目安となる聖人のことばが第1章から第9章に当たるということはこれまでお話した通りです。
 ところで「故聖人の御こころにあひかなひて、御もちゐさふらふ御聖教ども」とは何を指しているのでしょう。
この言い回しから、これは浄土三部経のような経典を指しているとは考えにくいと思います。経典について「心にかなう」という言い方はふさわしくないからです。また聖人自身の著作とも考えられません。自分が書いたものを「心にかなう」とは言わないでしょう。としますと、当時法然の弟子の中で浄土の教えを分かりやすく解説した人たちの書物を指しているように思われます。例えば聖覚の著わした『唯信抄』や、隆寛の著わした『自力他力事』、『一念多念分別事』などです。『末燈抄』などの親鸞の消息集を読みますと、そうした書物にしばしば触れられています。

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