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『歎異抄』を読む(その205) ブログトップ

12月7日(金) [『歎異抄』を読む(その205)]

 『末燈抄』第19通には次のように書いてあります。 
 「さきにくだしまいらせさふらひし『唯信抄』『自力他力』なんどのふみにて御覧さふらふべし。それこそ、この世にとりてはよきひとびとにておはします。すでに往生をもしておはしますひとびとにてさふらへば、そのふみどもにかゝれてさふらふには、なにごともなにごともすぐべくもさふらはず。」
 (先に書き写してお送りしました『唯信抄』『自力他力』などの書物を御覧になってください。これらの書物を書かれた人たちこそ、この世にとって優れた師と言うべきです。すでに往生された人たちですから、そこに書かれたことに勝ることは何一つありません。)
 先回言いましたように、『唯信抄』は法然の高弟聖覚の著で、親鸞はこれを注釈して『唯信抄文意』を著しています。また『自力他力』は正式には『自力他力事』と言いますが、これまた法然の高弟隆寛の著作です。隆寛にはまた『一念多念分別事』があって、親鸞はこれを注釈して『一念多念文意』を著しています。
 このことから親鸞は聖覚や隆寛といった法然の高弟をどれほど信頼していたかが分かります。他の消息にも度々これらの書物のことが出てきて、親鸞は繰り返しこれらを自ら書き写して関東に送っていたことが知られます。
 それにしても、どうして親鸞はこうした法然の高弟たちの書いたものをあてにしたのだろうという疑問が頭から去ってくれません。と言いますのは、聖覚の『唯信鈔』にせよ隆寛の『一念多念分別事』にせよ、親鸞の念仏思想とぴったり重なるという訳にはいかないからです。

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