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『歎異抄』を読む(その213) ブログトップ

12月15日(土) [『歎異抄』を読む(その213)]

 ここで注目したいのは、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という親鸞のことばです。所詮この世はすべてそらごとたわごと、念仏だけが真実だというのですが、このことばは聞きようによっては、現実というもの、日々の生活の営みに対して非常に消極的、隠遁的な響きを与えてしまいます。
 そんな印象は第4章でも持ちました。「今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも」というくだりです。そして「念仏まうすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心」とありました。悲しい出来事に、どんなに気の毒だ、可愛そうだと思っても何もしてあげることはできないのだから、念仏だけが真実だというのは、今のことばで言いますと、とんでもなく「マイナス思考」だと言わなければなりません。もっと積極的に、少しでもいい方向に持っていくにはどうすればいいかを考えるべきではないかと思うのがぼくらの普通の感覚ではないでしょうか。
 ここで問題にしているのは、宗教と日々の暮らしとの関わりです。宗教の本質は他力、「向こうから」です。それを親鸞はとことんまで究明してくれました。ぼくらはこれまでそれをしかと味わわせてもらいました。しかしぼくらは同時に日々の暮らしを立てていかなければなりません。そして暮らしの本質は自力、「こちらから」です。このふたつはどう関わるのか。

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