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『歎異抄』を読む(216) ブログトップ

12月18日(火) [『歎異抄』を読む(216)]

 「生きんかな」は自力で、「生かしめんかな」は他力です。「生きんかな」が暮らしで、「生かしめんかな」が宗教。
 「生きんかな(生きよう)」の世界は「よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなき」ですが、そこで絶望もせず気も狂わずに生き通せるのは、「生かしめんかな(生きていていい)」の声がどこかから聞こえてくるからです。「生きんかな」として「こちらから」出かけることができるのは、「生かしめんかな」の声が「向こうから」聞こえるからです。「生かしめんかな」の声が「向こうから」聞こえるのは、「生きんかな」として「こちらから」出かけるからです。
 自力は他力あってこその自力です。そして他力は自力あってこその他力です。
 よちよち歩きの赤ちゃんは覚束ない足取りで、しかし必死にお母さんが手を広げて待っているところまで行こうとします。そんなふうに赤ちゃんが「こちらから」一生懸命に立ち向かっていけるのは、「向こうから」お母さんが「ここまでおいで」と声をかけてくれるからです。「向こうから」お母さんが「ここまでおいで」と声をかけてくれるのは、赤ちゃんが「こちらから」必死に立ち向かっていこうとしているからです。「こちらから」は「向こうから」があってこそです。「向こうから」は「こちらから」があってこそです。
 ぼくのお気に入りのことばに「こどもはだれかと一緒のとき、ひとりになれる」というのがあります。イギリスの精神分析家ウィニコットの名言です。

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