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『歎異抄』を読む(その218) ブログトップ

12月20日(木) [『歎異抄』を読む(その218)]

 続けて『歎異抄』末尾の流罪記録を読みます。
 後鳥羽院の御宇、法然聖人、他力本願念仏宗を興行す。ときに、興福寺の僧侶、敵奏の上、御弟子のうち、狼藉子細あるよし、無実の風聞によりて罪科に処せらるる人数のこと。  一 法然聖人ならびに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪におこなはるるなり。聖人は土佐国幡多といふ所へ流罪、罪名、藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。  親鸞は越後国、罪名、藤井善信云々、生年三十五歳なり。  浄聞房 備後国 澄西禅光房 伯耆国 好覚房 伊豆国 行空法本房 佐渡国 幸西成覚房・善恵房二人、同じく遠流に定まる。しかるに無動寺の善題大僧正、これを申しあづかると云々。遠流の人々、以上八人なりと云々。  死罪に行はるる人々 一番 西意善綽房 二番 性願房 三番 住蓮房 四番 安楽房。  二位法印尊長の沙汰なり。  親鸞、僧儀を改めて、俗名を賜ふ。よって僧にあらず俗にあらず、しかるあひだ、禿の字をもつて姓となして、奏聞を経られをはんぬ。かの御申し状、いまに外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と書かしめたまふなり。  右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機においては、左右なく、これを許すべからざるものなり。             釈蓮如御判                        
 後鳥羽院のころ法然聖人が他力本願念仏宗を興されました。その時興福寺の僧侶が恨みを抱き、法然聖人の弟子の中に狼藉を働くものがいると朝廷に奏上しました。その結果、事実無根のうわさで罪に問われた人々のことを記録しておきます。
 一 法然聖人ならびにその弟子7人が流罪となり、弟子4人が死罪となりました。法然聖人は土佐の幡多という所に流罪となり、罪人としての名前は藤井元彦、男とあり、御歳七十六歳です。親鸞は越後へ流罪、罪人としての名前は藤井善信とあり、御歳三十五歳です。浄聞房は備後、澄西禅光房は伯耆、好覚房は伊豆、行空法本房は佐渡に流罪となりました。幸西成覚房と善恵房の二人も遠流になりましたが、無動寺の善題大僧正-慈円-に預かりとなった由です。遠流の人々は以上の八名です。死罪とされたのは次の人々です。一 西意善綽房 二 性願房 三 住蓮房 四 安楽房。
 以上は、二位法印尊長の決定です。
 親鸞は僧籍を取り上げられ、俗名を与えられました。よってもはや僧ではありません。しかし俗でもありませんので、禿の字をもって姓としたいと申し出て認められました。その時の書状は今も外記庁に納められているといいます。流罪以後は愚禿親鸞と署名されています。
 この書物はわが宗の大事な聖教です。真剣に教えを学ぼうという意志のない者にはむやみに見せてはいけません。                                    釈蓮如

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