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『歎異抄』を読む(その220) ブログトップ

12月22日(土) [『歎異抄』を読む(その220)]

 『教行信証』末尾の文章で、親鸞は承元の法難当時を振り返り、興福寺の学徒や主上臣下のありように対して改めて怒りを燃えたたせています。僧侶を「みだりがはしく死罪につみ」したり、「僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に処す」などという、考えられないような厳しい処分を下した時の権力への激しいプロテストがあります。
 一方興福寺の学徒や主上臣下の側から法然の専修念仏集団を眺めますと、この連中を放っておくと大変なことになるという強い危機感があったに違いありません。
 当時、仏教は国家と一体でした。僧侶は「僧尼令」という法に統制される国家公務員だったのです。そして新しい宗を開く場合は、言うまでもなく朝廷から公認される必要がありました。勝手に新しい宗を開くなどというのはとんでもないことです。興福寺の学徒、貞慶の奏状も、その第一に「朝廷の許可も得ずに、勝手に一宗を名のるのは不当極まりない」とありました。
 時の権力者にとって、法然の専修念仏集団が新しい宗を名のって活動するのをそのままにしておけば、律令仏教の根幹が揺らぐと思われたのです。かくして承元の法難は起こるべくして起こった。
 ここに重大な問題が登場してきます。「宗教と権力」あるいは「宗教と政治」の問題です。これについて親鸞はどのようなスタンスを取ったのでしょうか。

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