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はじめての親鸞(その6) ブログトップ

1月2日(水) [はじめての親鸞(その6)]

 では「第1章 救い」です。
 浄土思想をひと言に約めますと「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」ということになります。これは『歎異抄』に出てくることばで、阿弥陀仏の「すべての衆生を救いたい」という願いを信じ、「南無阿弥陀仏」と称えれば、浄土へ往生して仏になれるというのです。
 ここにすべてが収まってしまうのですが、残念なことに、ここで使われている「阿弥陀仏」、「本願」、「念仏」、「浄土」、「往生」などといったことばは、現代に生きるわれわれにとって、もはや日常生活の中に生きているとは言えません。いわば博物館に入ってしまったことばで、ガラスケースに納められ、それぞれに丁寧に解説文がつけられています。ちょうど陳列された縄文土器の一つひとつに詳しい解説文がつけられているように。
 そこでこのことばを博物館から引っ張り出して、日常の生活の中に活かしてみたいと思うのです。ガラスケースに納めて鑑賞するのではなく、日々の生活に役立たせてみたいのです。縄文土器は生活用品としてはもはや役に立たないかもしれませんが、このことばは現に浄土宗や浄土真宗の信仰を持っている人には生き生きと働いています。それをもっと広く、宗派はもとより仏教という枠も離れて、今を生きる人たちの生活に活かせないかということです。
 ぼくの頭には「阿弥陀仏って何だよ、念仏なんて勘弁してよ」という顔をしている高校生たちが浮かんでいます。彼らにこのことばの魅力を届けられないものか。で、いきなりですが、このことばをこんなふうに現代日常語訳しようと思います、「どんなに頑張っても救いを自分で手に入れることはできない」と。こう言っても同じです、「救いはあなたからやってくる」と。

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