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はじめての親鸞(その13) ブログトップ

1月9日(水) [はじめての親鸞(その13)]

 救いはこちらがそれを手に入れようとすればするほど遠ざかると言いましたが、これにはさまざまな疑問が出されるでしょう。
 例えば「先ほど釈迦は救いを求めて家を出たと言ったじゃないか。そして菩提樹の下で解脱したと。とすると釈迦は彼を悩ませた“このまま生きていていいのか”に対する答えを自分で手に入れたということになるではないか」と言われるかもしれません。
 あにはからんや、釈迦は救いを自分で手に入れることは不可能だと悟ったのです。
 もう一度、何とも居心地が悪くて消え入りたいと思う現場に戻ります。どうにもここは自分がいる場所ではないと思ってしまう場面として「いじめ」を考えてみましょう。いじめほど激しく「このままここにいていいのか」という問いを突きつけてくるケースはありません。
 ある日学校に行ってみると、何となくいつもと様子が違います。教室に入って「おはよう」と言っても、いつもなら何人かから「おはよう」と返ってくるのに、どういう訳か誰も返事をしてくれません。最初はそれほど気にしていませんでしたが、時が経つうちに事態がかなり深刻であることに気づいてきます。
 シカトされているのです。どうしてだろうと考えてみても、これといって思い当たることはありません。何だか狐につままれたような感じですが、だんだん教室にいることが息苦しくなってきます。このままじゃいけないと思うですが、さてどうしたらいいのか。

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