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はじめての親鸞(その18) ブログトップ

1月14日(月) [はじめての親鸞(その18)]

 いささか理屈っぽくなってしまいましたが、救いはこちらが求めるから与えられるのではなく、向こうから一方的に与えられるものであること、そしてそうだとすると、それは生きとし生けるものすべてに与えられるということを述べてきました。まだまだ荒削りですが、ことばの足りないところはおいおい補っていくとしまして、とりあえず先に進みたいと思います。
 「そのまま生きていていい」という声が聞こえると言うが、一体どこからそんな声がするのかという問いです。それは何か神秘的な声だろうか、わたしには一向に聞こえないのだがと。
 いや、神秘的も何も、すぐ目の前の「あなた」から聞こえるのです。いつものように家の近くを散歩していますと、向こうからやってきた、多分近所の方だと思うのですが、名前も何も存じ上げない方から「こんにちは」とにこやかに挨拶されました。ぼくももちろんすぐさま「こんにちは」と返しながら、こころの中にさわやかな風が吹き込んできたのを感じました。
 この「こんにちは」の声がぼくには「そのまま生きていていいよ」と聞こえるのです。その方に、そんなことを言っているという意識があろうはずがありません。ただ通りすがりに挨拶をされただけです。ぼくにもことばとしては「こんにちは」としか聞こえません。でも、それは紛れもなくぼくに「そのまま生きていていい」と言ってくれているのです。

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