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はじめての親鸞(その40) ブログトップ

2月5日(火) [はじめての親鸞(その40)]

 「いじめを根絶しなければならない」と言う人は、自分は絶対いじめなどしないと思っています。そして、いじめは一部のこころの歪んだ人がするのだから、その人たちのこころの歪みを矯正しなければならないと考えているのです。でも、どうでしょう、どんな人にもいじめ心が潜んでいるのではないでしょうか。今は外に現れていませんが、ひょんなきっかけでそれが顔を出す。ぼくはそれを「欲しがり虫」と同じように「いじめ虫」と呼びたいと思います。普段はじっと大人しくしているのですが、好物のにおいがしてくるともぞもぞ這い出てくる、そんな虫です。
 小学校の頃の嫌な記憶があります。早く消えてしまえばいいのに、いつまでも消えてくれません。ある雨の朝、小学校の靴脱ぎ場でのことです。ぼくら男子の一団がワイワイ言いながら上履きに履き替えていますと、一人の女の子が登校してきて同じように靴を脱いでいます。日本全体がまだ貧しかった頃のことですが、その子の着ているものは見るからに貧しいものでした。そんなことから彼女はみんなの輪に入れず、ひとりぼっちでした。で、そのとき、何の気なしに彼女の靴を見て、底に穴があいていることに気づいたのです。そして言わなくてもいいこと、言ってはいけないことを言ってしまったのです、「そんな靴、履いててもしょうがないやん」と。
 どうしてそんなことを言ってしまったのか。多分みんなのウケを狙ったのです。その場にいる友達が「アハハ」と笑う顔が見たかった。でも、言ってしまってすぐ後悔しました、その女の子が悲しそうな眼でぼくをじっと見つめたからです。そのときの彼女の表情が今もときおり浮かんではぼくを苦しめます。そしてわが内なるいじめ虫のことを思うのです、「おまえがひょいと飛び出てきたものだから、彼女をいじめることになってしまったのだ」と。

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