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はじめての親鸞(その43) ブログトップ

2月8日(金) [はじめての親鸞(その43)]

 煩悩の虫が外に出てくるか、それとも内で静かにしているかの違いは大きいと言わなければなりません。いじめをする人や割り込みをする人は悪い人です。みんなその可能性を持っているからといって、その人たちを免罪することはできません。でも、いじめ虫や割り込みの虫がいるという点では同じなのです。
 お母さんが悪いことをした子を叱るときに「そんな悪い子を産んだおぼえはありません」と言うのは、その子にとってかなりきついものがあります。そう言うとき、お母さん自身は善い人の側にいて、悪い子を断罪しています。言われた子は「お母さんとぼくとは別の世界にいるんだ。早くこの悪い世界から抜け出ないと置いてきぼりにされてしまう」という不安に駆られます。ですから、こう言うべきです、「そんな悪いことをしてはいけませんよ」と。
 「悪い人であってはいけない」と「悪いことをしてはいけない」、微妙な違いですが、しかし決定的な違いです。
 人間はつい悪いことをしてしまうものです。その意味ではみんな悪人です。ただ世間には自分は悪人だと自覚している人と、いや自分は善人だと思っている人がいるのです。自分は善人だと思っている人は、実際はつい悪いことをしてしまうのに、自分は悪いことなどしないと思っています。自分は善い人だと思っている母親は、悪いことをした子に「悪い人であってはいけません」と説教します。でも自分も悪い人だと思っている母親は悪いことをした子に「私もつい悪いことをしてしまうけど、悪いことをしてはいけないのよ」と注意するはずです。

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