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2月16日(土) [はじめての親鸞(その51)]

 内部と外部。
 考えてみますと、外部があると分かってはじめてここは内部だと分かります。しかし外部があるということは、内部しか知らない人には分かりません。外部があるということは外部から知らせてもらうしかないのです。ですから、内部に閉ざされていますと、ここが内部であることも分かりません。ここは世界そのものであって、内部もなければ外部もありません。
 生まれてこの方ずっと闇に閉ざされている人は、ここが闇であることを知りません。光を知らない彼に「きみ
は闇の世界にいるんだ」と言っても、何を言われているのか理解できないでしょう。彼にとって、ここは「あるようにある世界」であって、光でも闇でもありません。
 さて彼は自分で光の世界に出て行こうとすることはできません。ここが闇の世界であることが分かってはじめて光の世界に出て行こうとすることができますが、彼には光も闇もないからです。そして彼はここが闇の世界であることに自分で気づくことはできないのです。
 同じように、「わたし」の内部に閉ざされている人は、ここが内部であることを知るよしもありません。「きみはきみの内部にいるのだ」と言われても、何のことか理解できないでしょう。ですからどう踏ん張っても自分で外部に出て行こうとすることはできません。ここが内部であることが分かってはじめて外部に出て行こうとすることができますが、ここが内部であることを自分で知るすべはないからです。

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