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はじめての親鸞(その55) ブログトップ

2月20日(水) [はじめての親鸞(その55)]

 第3章に入ります、題して「あなた」。
 「わたし」が救いを自分で手に入れることはできないということになりましたが、としますと、もう救いは何ともならないのでしょうか。そんなことはありません。「あなた」から与えられるからです。「わたし」の力ではどう踏ん張っても「わたし」へのとらわれから離れることはできなくても、「あなた」の力で離れることができるようになるのです。
 夜中に耐え難いほど頭が痛くなり、薬を飲んでも一向によくならないとき、これは大変なことになったと慌てますが、救急に飛び込み、医者に処方してもらうと嘘のように治ることがあります。こんなとき医者の有難さが身に沁みます。何度も頭を下げてお礼を言いたくなります。「わたし」の力では何ともならないことが「あなた」の力で瞬く間によくしてもらったのですから。自力ではとてもできないことが他力で簡単にできる、ならば自力を捨てて他力を頼もうじゃないか、
 これが親鸞の他力でしょうか。そうじゃないのだということをこれから述べていきたいと思います。
 インドの思想家に龍樹という人がいます。大乗仏教の理論家として余りにも有名な人で高校の教科書にも登場します。たとえばこんなふうに。「一切衆生の救済をめざす大乗仏教の教えは、ナーガールジュナ(龍樹、150?-250?)によって理論的な基礎づけがなされた。人は事象を認識し名前をつけることで、それが実在すると思ってしまう。しかし龍樹は、ものがそれ自体として実在すると考えるのは人間の迷妄であり、すべてのものはそれ自体として存在するのではなく、たがいに依存しあって生成し消滅しており、固定的・実体的に存在するものは何もないという空の理論を展開した」。

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