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3月1日(金) [はじめての親鸞(その64)]

 「予測する」ことは予測した内容と切り離すことができます。
 「いつかあなたが迎えに来てくれる」と予測するとき、ぼくがそう予測することと「いつかあなたが迎えに来てくれる」こととの間に内的なつながりはありません。ですから、ぼくがそう予測しても、そしてどれほどそれを確信しても、いつまでもあなたは迎えに来てくれないかもしれません。その可能性は決してゼロにはなりません。アキレスは亀に追いつけないのです。
 ところが「気づく」ことは気づいた内容と切り離すことができません。
 「すでにあなたが待っていてくれる」ことに気づいたとき、ぼくがそう気づいたことと、「すでにあなたが待っていてくれる」こととは切り離しがたく結びついています。「すでにあなたが待っていてくれる」ことがぼくをゲットしてしまったのですから、それをぼくから切り離すことはできないのです。
 こうも言えるでしょう。「ぼくが予測する」ことと「いつかあなたが迎えに来てくれる」こととの間には隙間があるが、「ぼくが気づいた」ことと「すでにあなたが待っていてくれる」こととは一体だと。「いつかあなたが迎えに来てくれる」ことには「ひょっとしたら」という疑いがつきまとうが、「すでにあなたが待っていてくれる」ことに疑いが入り込まないのはそういうわけです。
 いや、「あなたが待っていてくれる」ことに気づいたとしても、「ひょっとしたら」その気づきは偽りではないかという疑いが生じることもあるじゃないか。こういう反論があるかもしれません。

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