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はじめての親鸞(その74) ブログトップ

3月11日(月) [はじめての親鸞(その74)]

 「する」は自力だが「いる」は他力だということを見てきました。それを具体的な場面で確かめてみましょう。
 いつ頃からでしょう、「自己責任」ということばが幅を利かし、何だか冷たい世の中になったなあと感じます。自己責任とは「何かにつけて他人のせいにするな」ということです。ぼくはこのことばに現代という時代を象徴するものがあるような気がします。「勝ち組、負け組」も嫌なことばですが、勝ち組になるのも負け組になるのも「自己責任」だと言われると、ますます嫌な感じになります。
 振り込め詐欺にあって、なけなしの蓄えをスッテンテンにされたお婆さんに、それはあんたの不注意だから自己責任だと言われる。就職氷河期にあたって、ワーキングプアになってしまった若者にも、それはあんたの自己責任と言われる。何だか血も涙もない社会になってしまったように感じませんか。
 前にも話題にしましたが、ぼくが勤めていた高校にはいわゆる「できん坊」がわんさといました。「おい、この字は何と読む」と訊きますと、「知らん」と言います。「もうちょっと愛想のいい返事はできんのか。じゃあこれは?」と更に突っ込みますと、「そんなの知ってたら、こんな学校には来とらん」と反撃してきます。
 底辺校(嫌なことばです)と呼ばれる学校にはこういう生徒がわんさといます。そんな生徒に「お前が勉強できないのは、親が悪いのでも、学校が悪いのでも、社会が悪いのでもない、お前が努力しないからだ。だから責任は全部お前にある」と言う。これが自己責任です。

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