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3月12日(火) [はじめての親鸞(その75)]

 「お前が勉強できないのは、お前が努力しないからだ。だから責任は全部お前にある」ということば、確かにその通りなんだけど、いや、その通りだけに、余計血も涙もないと感じませんか。
 勉強ができないのはもちろん本人の責任です。もっと一生懸命やればいいのです。でも、「よし、やるか」という気になった途端に、親から「ちょっと手伝って」と言われたり、「よーし、今度こそいい点取るぞ」と思っていた矢先に、先生から「こんなことが分からんで高校生と言えるか」とけなされたり、といったこともあるでしょう。そんなこんなで、ついついやる気が殺がれてしまう。
 学校では次のような会話が日々繰り返されています。
  「お前はどうして勉強しようとしないんだ?」
  「だって分からんもん。」
  「分からなければ聞けばいいじゃないか。」
  「誰に聞けばいいんだよ。親は端から相手にしてくれないし、先生に聞こうとしても邪険にするし。」
 要するに、何にもかまってもらえず、ほったらかしにされてきたということです。そのうち勉強が全く分からなくなり、何が分からないのかすら分からなくなる。こうなるともう助けを求めることもできず、「どーせオレはできないんだ、オレは頭が悪いからしょうがない」と投げ出してしまうのです。
 それを、「お前が勉強できないのは誰の責任でもない、お前の責任だ。だからオレは知らん」と言って済ませられるなら教師も楽でしょう。しかしそれが教育でしょうか。ぼくならこんなふうに励ますと思います、「お前が勉強できないのは、お前がそれだけの努力をしないからだぞ。ぼくがついて見てあげるから一緒にやってみようじゃないか」と。それが教育というものではないでしょうか。


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