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はじめての親鸞(その83) ブログトップ

3月20日(水) [はじめての親鸞(その83)]

 ところが『無量寿経』は、もちろん釈迦が語るという形式をとっていますが、釈迦が何を悟ったかではなく、遠い昔に阿弥陀仏がどんな願いを立てたかを説いているのです。これはかなり特異なスタイルだと言わなければなりません。釈迦が釈迦自身の願いを説くのならまだしも、阿弥陀仏というはるか昔の仏がどんな願いをもっていたかを述べているのです。そこから、この経典は一種の「神話」ではないかという見方が生まれてきます。事実ではなく「物語」だと。
 『無量寿経』を物語風にアレンジしてみましょう。語り手は釈迦です。
 「遠い遠い昔の話じゃがな、世自在王仏という名の仏がいらっしゃった。あるとき一人の国王がこの仏の説法をお聞きになって、もう国も王位も何もかも捨ててこの仏に随おうと決意されたのじゃよ。そして法蔵菩薩と名のられた。法蔵菩薩は世自在王仏にこう願われたのじゃ、わたしは哀れな衆生を一人残らず救いたいと思います。つきましては、どのような国土をつくって救い取ればいいかお教えください、と。そこで世自在王仏はあらゆる仏たちの国土の優れたありさまを法蔵菩薩にお見せになった。法蔵菩薩はそれをじっくりご覧になり、五劫という気の遠くなるほどの長い時間をかけて熟考され、ついに四十八の誓願をたてられたのじゃ。」
 さてこれを高校生に聞かせてみたらどんな感想が返ってくるでしょうか。「何だよ、それ。まさかそんなことが本当にあったと信じているんじゃないでしょう、ただの御伽噺だよね」といった反応ではないでしょうか。

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