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4月28日(日) [はじめての親鸞(その122)]

 親鸞は、普通なら「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮をいだくことをえざれ」と読む善導の文章を引き、これを「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」と読みます。
 「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮をいだくことをえざれ」ですと、「外ではいい子ぶって、内で悪巧みをしていてはいけません」と常識的ですが、「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」ですと、「外でいい子ぶってはいけません、内で悪巧みをしているに決まっているからです」と心臓を射抜きます。
 「仏の顔をしながら、サソリの心を持っていてはいけません」は、サソリの心を捨てなさいと諭していますが、「仏の顔なんかするんじゃありません、サソリの心を持っているのですから」は、サソリの心を捨てることなんかできっこないと見定めています。親鸞という人は、自分の中の悪をじっと見つめていた人だと思います。
 嘘を咎められたら、「嘘をついてしまいました。ごめんなさい。これからは嘘をつきません」と反省するのが普通です。ところが親鸞はこう言うのです、「ぼくは嘘つきです。これはもう治しようがありません」と。これが「自分は紛れもなく罪深く迷いの中にある凡夫」の自覚です。
 見方によっては開き直りとも取れます。人生を真面目に生きるのを投げているのじゃないかと非難する人がいるかもしれません。その声は尊い。嘘をつかないようにしようとする心を投げてしまったらすべてはおしまいです。でも同時に自分の中に棲んでいるサソリから目をそらすことができない。

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