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はじめての親鸞(その142) ブログトップ

5月18日(土) [はじめての親鸞(その142)]

 「源左、助くる」の声が「なむあみだぶつ」の声です。どこからかこの「なむあみだぶつ」の声が聞こえてきて胸に沁み、何だか体がポカポカ温かくなった。そして「ふいっと」口から「なむあみだぶつ」が出てくる。これが「ようこそ、ようこそ」です。どこからかやってきた「源左、助くる」が源左の耳に届き、それがまた源左の口から「ようこそ、ようこそ」と出て行く。
 念仏と言えば「なむあみだぶつ」と決まっているわけではなく、それぞれの人にそれぞれの「なむあみだぶつ」があるのではないでしょうか。源左の「なむあみだぶつ」は「源左、助くる」であり、「ようこそ、ようこそ」なのです。
 お寺でみんなと一緒に念仏するのは自然にできるのに、一人で念仏しようとすると何かが喉に引っかかって声が素直に出てこないという方の話をしました。その方は「念仏しなくちゃ」と思っています。そう思えば思うほど喉が詰まってしまう。「眠らなくちゃ」に似ています。
 「眠らなくちゃ」と思えば思うほど眠れない。そんなふうに思わなければ、すっと眠れるのに、「眠らなくちゃ」と気張るものだから余計眠れません。同じように「念仏しなくちゃ」にこだわりますと、喉がこわばってますます念仏できません。
 しかし、念仏は「念仏しなくちゃ」と思ってするものではないようです。それでは自力の念仏になります。自分ではそんなつもりはないのに、ふと口をついて出るのが他力の念仏というものです。そして念仏がふと口をついて出るのは、「そのままで救われる」という声が聞こえて、腹の底から喜びが突き上げてくる時です。

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