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5月24日(金) [はじめての親鸞(その147)]

 「なむあみだぶつ」は無数の人たちの手でリレーされていきます。そのリレーはどこかで始まり、どこかで終る訳ではありません。「なむあみだぶつ」は人から人へと受け継がれていきますが、その流れには始まりも終わりもないのです。「なむあみだぶつ」を受け継いでいく一人ひとりのいのちはわずかなものです。でも「なむあみだぶつ」で繋がることにより悠久の流れとなります。これを親鸞は「群生海」と呼びます。
 こうして「本願海」はそのまま「群生海」です。リレーされる「なむあみだぶつ」から言えば「本願海」ですが、リレーする群生から言えば「群生海」。群生一人ひとりには始まりと終わりがありますが、「群生海」には始まりも終わりもありません。いのちの悠久の流れがあるだけです。
 「なむあみだぶつ」のリレーについてもう少し考えます。 
 『教行信証』を読んでいて不思議だなあと思うことがいくつかありますが、その一つが法然のことです。親鸞は法然の『選択本願念仏集』からたった一箇所しか引いていないのです。『教行信証』の引文は、経典を別にしますと、善導の文が他を圧倒していまして、次に曇鸞が多く、それに他の高僧たちが続くのですが、法然は極端に少ない。これはどうにも不可解な思いがします。
 言うまでもなく、法然は親鸞にとって最大の恩人です。二十九歳の親鸞は山を降り六角堂に籠ったとき、夢告を得てその足で吉水の法然を訪ねたのでした。以来、三十五歳のとき承元の法難で流罪になるまで、六年という短い期間とはいえ(親鸞が流罪を許されてまもなく、法然は亡くなります)、念仏の真髄を教えられる濃密な時間を過ごしたのです。

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