So-net無料ブログ作成
はじめての親鸞(その154) ブログトップ

5月31日(金) [はじめての親鸞(その154)]

 前にも言いましたが、こちらに自力の世界、あちらに他力の世界というぐあいに都合よく分かれているわけではありません。
 ぼくらは何から何まで自力の世界に生きていながら、ふと他力に遇うことができ突き上げるような喜びに包まれます。これが他力に帰す瞬間ですが、だからと言って自力の世界から離脱したのではありません。これまでと寸分変わらぬ自力の世界のただ中で煩悩にまみれています。ですから、喜びは持続しません、ただ反復されるだけです。
 三願転入ということばがあります。
 第十九願、第二十願の自力にとらわれた信心から第十八願の他力の信心へと深まっていくことを指します。これについて、ややもすると、十八願に転入してしまいますと、もう決して後戻りしないかのように説かれることがあります。自力の世界から他力の世界へ転入して、もう世界は一新するというニュアンスです。
 でも、ある日他力に帰したからと言って、住む世界が変わる訳ではありません。昨日までと全く同じ自力の世界です。もし他力に帰すことが悟りを開くことでしたら、その時点で「仏となる」のですから、住む世界が一新すると言えるでしょうが、他力に帰すというのは、自力の世界がそのまま他力の世界でもあることに気づくだけですから、自力の世界から離れることはできません。

はじめての親鸞(その154) ブログトップ