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はじめての親鸞(その178) ブログトップ

6月24日(月) [はじめての親鸞(その178)]

 ある勉強会でのことです、親鸞は阿弥陀仏や浄土をどう捉えていたかというかなり込み入った話が終わった後、いくつかの質問が出たのです。これが面白かった。
 ある方はこう言われました、「阿弥陀仏にはかたちがないというお話ですが、お寺には阿弥陀仏の木像があります。それを朝夕拝んでいるのですが、これはどう考えたらいいのでしょう」と。
 講師は困った顔をされ、「私が住職をしているお寺にも木像があります。蓮如上人は木像より名号の方がいいと言われていますが、私の一存で木像を名号にかえる勇気はありません」と答えられていました。
 もう一人、この方はお医者さんですが、こう言われました、「お話は余りに哲学的で、分かったようでよく分かりません。もし今日明日の命のお婆さんから“阿弥陀仏はいずこに”と聞かれたら、どう答えたらいいのでしょう」と。講師はますます困った顔をされていました。
 阿弥陀仏は「かたちもなくまします」と言われます。しかし阿弥陀仏に助けていただくからには阿弥陀仏がどこかにいてくれなくては困ります。「源左、助くる」という声が聞こえるということは、そう言ってくださる阿弥陀仏がどこかにいるということです。
 よく阿弥陀仏は実体ではなく働きであると言われます。「体」ではなく「用」だと。これも分かったようで、その実よく分からない。何らかの働きがあるということは、その働きをしているものがあるということです。

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