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6月29日(土) [はじめての親鸞(その183)]

             第8章 暮らす
 いよいよ最終章となりました。日々の暮らしと親鸞の他力思想との関係についてお話したいと思います。
 救いは「そのまま生きていていい」と言ってくれる「あなた」から与えられ、その「あなた」が仏に他ならないと言ってきました。親鸞にとって「そのまま生きていいていい」という声が「南無阿弥陀仏」であり、「南無阿弥陀仏」を届けてくれる「あなた」が阿弥陀仏なのだと。
 突然ですが、コルベ神父のことをご存知でしょうか。
 彼は日本にも伝道に来たことがあるポーランド生まれの神父さんですが、1941年にナチスに批判的な言動をしたということで逮捕され、あのアウシュビッツ収容所に送られました。ある日、収容所から脱走者が出て、その見せしめとして囚人の中から10人を選んで餓死刑(特別な部屋に閉じ込められ、一切食べ物、水を与えられません)に処されることになったのですが、無作為に選ばれたひとりが「オレには妻も子もいるんだ」と泣き崩れた。その時です、コルベ神父が「わたしは妻も子もいませんから代わりましょう」と申し出たのです。
 有名な逸話です。この時、もし身代わりを申し出た人がその人の父親でもあれば、肉親の情として理解できないわけではありません。しかし、たまたま同じ場に居合わせたというだけで身代わりを申し出たコルベ神父の言動は常軌を逸しています。そこにいたみんなはわが耳を疑ったに違いありません。感動したというより、突然理解できないことばをしゃべる宇宙人が目の前に現れたような衝撃を受けたことでしょう。だからこそ後々まで語り伝えられたのです。

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