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7月8日(月) [はじめての親鸞(その192)]

 親鸞は関東の地でこの同朋・同行の思想を生きようとしたのだと思うのです。
 さて、暮らしの中でこれまでにない新しい生き方を模索しようとしますと、そこにさまざまな対立の渦が起こってくるのは避けられません。承元の法難が巨大な渦となって法然・親鸞を巻き込んだのですが、それで終ったわけではありません、それ以後も繰り返し他の宗派や、土地に根付く信仰と摩擦を起こすことになります。浄土の教えはそのはじめから他宗派からの批難にさらされ、その中で磨かれていったのです。その対立の根っ子は法然の『選択本願念仏集』にあったと言わざるを得ません。
 法然が「選択」というのは、「これを取り、あれを捨てる」ということです。念仏を取り、その他の一切を捨てるということです。「ただ念仏のみ」、実にすっきりして分かりやすい。これが当時の民衆にとってどれほど有難いことだったか。それまでの仏教は一般庶民には近寄りがたく難解なものでした。手の届かないところにあったのです。それを「仏教とは要するに南無阿弥陀仏です。ただ念仏するだけで救われるのです」と教えてもらえたのですから、有難くないわけがありません。
 龍樹は「難行道と易行道」、曇鸞は「自力と他力」、道綽は「聖道門と浄土門」に分けました。仏教にはこの二つの道がありますと言うだけなら何の問題もないでしょう。しかし法然は「ただ念仏のみ」と念仏以外の教えをばっさり切り捨てたのです。切り捨てられた伝統仏教側からすればまことに面白くないでしょう。明恵という高山寺の学僧がいます。華厳宗の僧で親鸞と同年齢ですが、元々法然を学識高く人徳豊かな高僧として尊敬していたようです。ところが『選択本願念仏集』を一読するや『摧邪輪』という批判書を著し口を極めて罵倒します、法然は「一切衆生の悪知識」であると。

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