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7月23日(火) [はじめての親鸞(その207)]

             おわりに
 ぼくらはいつも明日のことを思い煩っています。
 しんどい学校に勤めていたときのことを思い出します。のんびりと骨休みをすればいい日曜日なのに、昼近くになってきますと、もう明日のことを考えて憂鬱になってくるのです。どうかすると胃の辺りがシクシク痛み出したりします。明日のために何かをしなければならない訳ではありません、ただ漠然と明日のことを思って不安になってくるのです。そんなことを考えても仕方がないと思うのに頭はそのことで一杯になってしまう。
 『福音書』にこんな一節があります、「明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり」。このことばを読みますと、ミレーの「晩鐘」が頭に浮かびます。夫婦が一日の農作業を終え、畑にたたずみながら静かに夕刻の祈りをささげている光景です。そこには今日一日に自足している人の何とも言えない安らぎがあります。
 あの頃、夕焼けの空をねぐらに急ぐ鳥を見上げながら、明日を思い煩うことのない生活にどれほど憧れたことか。
 明日を思い煩うことなく生きていけるかどうか、それは今日に自足しているかどうかにかかっています。「いま、ここ」で生きていることに自足できれば、明日を思い煩って心が破られることはありません。だからと言って明日のことを考えなくなるというのではありません。ぼくらが生きるということは取りも直さず明日のことを考えるということです。明日のことなんてどうでもいいと言う人は、生きることの責任を放棄した人と言わなければなりません。

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