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はじめての『教行信証』(その10) ブログトップ

2013年8月7日(水) [はじめての『教行信証』(その10)]

 『教行信証』を学術書として読もうとしますと最初から躓きます。もちろん学術書においても、他の書物からの引用は不可欠ですが、それは自説を裏づけるためであって、主眼はあくまで自説にあります。ところがこの書物は、どう見ても経・論・釈からの引用が主であって、親鸞が自分独自の考えを新たに主張しているとは思えません。
 親鸞としては、経・論・釈のことばを差し出し「ここに真理が説かれています」と言うだけで、「わたしが真理を説きます」とは決して言わないのです。ここにこの書物の一番の特徴があります。親鸞は浄土教の聖典を「編纂」したのであって、学術書を「著作」したのではないのです。
 聖典と学術書とはどこがどう違うのでしょうか。
 聖典は「すべての真理がすでにここに説かれている」と言い、学術書は「わたしの探究によりここまで真理が明らかになった」と言います。前者は「もうすでに」すべての真理が明らかになっているという立場で、後者は「今のところ」ここまで真理は明らかになったが、「これから」さらに探究を続けなければならないという立場です。前者にとって、この世の中に新しいことは何もありませんが、後者にとっては、日々新しい課題にチャレンジしていかなければならず、終わりのない旅が続くのです。
 同じ「真理」ということばを使いながら、何か別ものを指しているようです。一つは「知る真理」、もう一つは「気づく真理」です。

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