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2013年8月13日(火) [はじめての『教行信証』(その16)]

                   2.序
(1)難度海を度する大船、無明の闇を破する慧日
 どんな書物にせよ、序文には力が入るものです。手に取ってくださった方に、この書物は何を説こうとしているのか、そして何のためにこの書物を著すのかなどを手短に、しかもインパクトのあることばで伝えなければならないのですから、おのずと力が籠ります。序文の出来不出来でその書物の成否が決まると言ってもいいくらいです。
 さて、この序文はと言いますと、見事に全体のエッセンスを簡潔的確に述べていると思います。漢文で書かれていますから、『歎異抄』のようにストレートにこころに響くというわけにはいきませんが、噛めば噛むほど味が滲み出てくることばです。とりわけ冒頭の一文はよほど練られた文章でしょう。
 ひそかにおもんみれば、難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海を度(ど)する大船、無碍(むげ)の光明は無明の闇を破する慧日(えにち)なり。
 「ひそかに考えてみますと、思いはかることもできない弥陀の誓願は、渡ることの難しいこの生死の苦海を渡してくださる大船であり、何ものにも遮られることのない弥陀の光明は、われらの煩悩の闇を破ってくださる智慧の光です。」
 他力の救いが「難思の弘誓=難度海を度する大船」、「無碍の光明=無明の闇を破する慧日」のイメージで語られます。四句と六句に整え、難思・難度海、無碍・無明と韻を踏むなどの形式的なことはおくとしても、海と船のイメージ、闇と光のイメージで本願他力を伝えようとしているのが印象的です。引用される経・論・釈の中でもこれらのイメージは繰り返し出てきますが、親鸞にとって他力の本質を表すものとしてよほどピッタリくるものだったのでしょう。

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