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2013年8月16日(金) [はじめての『教行信証』(その19)]

 本願他力がこの歴史的事件を機に出現したのではありません。それは永劫の昔から存在しているはずです。でも、本願他力をはっきりとことばにして教えてくれたのは釈迦であり、その機縁となったのが王舎城の悲劇だということです。
 地球はその誕生のときから太陽の周りを回っています。でも、それをはっきりことばにしてくれたのがコペルニクスであったのと同じことです。いや、もっと適切な例としてイエスを上げることができるでしょう。神の愛は永遠の昔からわれらに注がれていたに違いありません。でも、それを自分の生きざまを通して明らかにしてくれたのがイエスです。
 ここに永遠と時間の接点があります。永遠の本願他力が王舎城の悲劇を機としてこの世に姿を現したのです。これを親鸞は「しかればすなはち」ということばで表そうとしているように思われます。
 さて続いて親鸞は次のように述べます。
 「このことから次のことが明らかになります。あらゆる恵みが収まっている名号(「なむあみだぶつ」)は、どんな悪も徳にしてしまう智慧であり、得がたいが壊れない信心は、疑いを拭い去り、必ず浄土往生を得させてくれる真理です。ですから凡夫も修めやすい真実の教えであり、愚かなるものも行きやすい近道です。釈迦一代の教えで、この教えにまさるものはありません。この穢れた世を厭い、浄土を願いながら、何を行い何を信じるかに迷い、こころは闇に閉ざされ大事なことに無智であり、しかも身に備えた悪は重く、障りの多いものは、とりわけ釈迦の勧めに従い、必ずこのもっとも勝れた道に帰して、もっぱら念仏をもうして、ひとえに本願を信じなさい。」

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