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はじめての『教行信証』(その23) ブログトップ

2013年8月20日(火) [はじめての『教行信証』(その23)]

 氷と水は本来同じものだが、形が違うだけのように、悪と徳も本来同じで、ただその形が異なるだけ。煩悩即菩提とはそういうことでしょう。
 氷は氷でしかないと思っているのと、氷は解けて水となることに気づくのとでは大違いです。それに気づかせてくれるのが弥陀の光明ですが、それに気づきますと、氷が多ければそれだけ水も多いことに驚くことになります。ここに「さはり(障り)おほきに徳おほし」という不思議があります。

(2)あひがたくしていまあふことをえたり
 さて以上のように、本願他力の教えのいわれとその意味が述べられたあと、次のしみじみとしたことばがきます。
 ああ弘誓の強縁、多生にもまうあひがたく、真実の浄信、億劫にもえがたし。…ここに愚禿釈の親鸞、よろこばしきかな西蕃月氏(せいばんげっし)の聖典、東夏日域(とうかじちいき)の師釈、あひがたくしていまあふことをえたり。ききがたくしてすでにきくことをえたり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳のふかきことをしんぬ。ここをもてきくところをよろこび、うるところを嘆ずるなり。
 「ああ、如来の本願には何度うまれても遇いがたく、真実の信心はどれほどの時を経ても得がたいものです。…ここに愚禿釈の親鸞は、喜ばしいことにインドの経論、中国・日本の先師たちの注釈に、遇いがたくしていま遇うことができ、聞きがたくしてもうすでに聞くことができました。そして浄土の真実の教・行・証を敬い信じ、ことに如来の恩徳の深いことを知ることができました。聞くところを喜び、得たところを讃えたいと思います。」

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